僕のこと〜邑楽拓唯のこと〜
私は1991年9月18日に地球に生まれました。
幼少期から虚弱体質で体の弱い子供でした。
生まれてすぐに咳が止まらなくなり、入院し酸素吸入器を着けました。
死にかけましたが一命をとりとめました。それからずっと咳喘息持ちです。
人見知りで心配性で気が弱く、好みや感覚が変わり者の子供でした。
生まれつき発達障害があったので、小さい頃はよく不思議の国のアリス症候群のような体験をしたり、光や音の刺激に敏感だったため、我慢ができなくなると叫びながら行くあてもなくどこかへ走って行くこともありました。
その度にご近所の優しい方々が追いかけて捕まえにきてくれました。
優しい人に囲まれ、小学校に上がるまでは幸せいっぱいに暮らしていました。
小学校に上がってすぐに同じクラスの子に「ブス」「ゴミ」と言われ、とてもビックリしました。
ですがその時の私はお頭が足りなかったのか、メンタルが強かったのか謎ですが、ショックは受けたものの普通に学校に通っていました。担任の先生からも理不尽な意地悪をされましたが、それでも勉強が好きだったのもあり学校には通っていたので「現在の自分よりメンタルが強いな」と、今になって感心しています。笑
ですが先生に意地悪をされた時のことは今でも思い出すと切ない気持ちになります。
ウサギのケージをみんなで掃除していた時にケージがひっくり返ってしまったのですが、私だけが怒られ、素手で一つずつウサギのウンチを拾い「ずっとそこでそうしていなさい」と言われ、授業が始まっても鍵をかけられ教室の外に閉め出され、泣きながらウサギのウンチを拾って片付けました。片付け終わっても先生に鍵は開けてもらえず、授業が終わると先生は教室から出ていってしまったので、クラスの子達が鍵を開けて中に入れてくれました。
私は学校の授業が大好きだったので、一人でウサギのウンチを拾ったことよりも、授業を受けられなかったことが悲しかったのを覚えています。
今でも鮮明に覚えているので、子供同士のことよりも大人にされた嫌なことの方が強く記憶に残るんだなと感じます。
そして、小学校2年生の夏休みに人生で最も最悪な事件が起きました。
夏休みに一人で外で遊んでいた時、心無い大人に性的暴行と暴力と酷い言葉をかけられました。
銀色のドロドロとした化学薬品のような液体を飲まされ、叫びたくても苦しくて息ができなくて声が出せませんでした。
太ももにタバコを押し当てられ、痛くて熱くて泣きました。太ももには小さいながらもその時の火傷の跡が残っています。
「お前のお父さんとお母さんに言われてやった」「言ったらお前は捨てられる」等と脅され、その言葉を嘘だと信じることができず、両親には怖くて話すことができないまま大人になりました。
その事件の後から夜眠ろうとすると、その時の男の怒鳴り声が聞こえてびっくりして起きてしまったり、金縛りが起きたり、安心して眠れなくなってしまいました。睡眠不足で幻覚や幻聴が見えたり聞こえたりするようになったのもその頃からでした。いつも睡眠不足だったので、ご飯も気持ち悪くてあまり食べることができず、家ではお菓子を食べるくらいで、学校で食べる給食が唯一しっかりとした栄養源だったので、給食には本当に感謝しています。
その後の小学校生活6年間の間にも靴の中に画鋲を入れられたり、靴を隠されたり、筆箱をゴミ箱に捨てられたり、持ち物を盗まれたり、よくあるイジメは一通り受けました。
そんな中でも数は少ないですが仲良くしてくれる友人に恵まれ、今でも仲良くしてくれる友人に心から感謝しています。
小学校時代、不安で怖くて眠れない時に私を救ってくれたのはゲームでした。
ゲームをしている時だけは何をしていても消えない不安や恐怖から逃げることができました。
ゲームをするとその世界に没入できるので、現実の不安や恐怖が薄れて、その後眠りにつくことができました。
私は任天堂とゲームがなかったら生きていなかった人間なので、今でもゲームと任天堂が大好きです。
初めて自殺しようと思ったのが小学校5年生の時でした。
家の屋根に登って頭から飛び降りて死のうと思い、屋根に登りました。
飛び降りようとした時、どうせ死ぬならもう一度だけ任天堂のゲームがしたいと思ったんです。
部屋に戻りゲームをしたら気持ちが落ち着いて、もう少しだけ生きてみようと思いました。
任天堂は命の恩人です。これからも大好きな会社です。
小学生の時初めて人を好きになり、その相手は女の子でした。
最初は自分は女の子のはずなのに何故女の子が好きなのか不思議だったのですが、好きなものは好きだ!と思い、中学生までずっと片思いをしていました。好きなものは好きだけれど、その子に気持ちを伝えることはできませんでした。
「気持ち悪い」と思われてしまうんじゃないか。伝えたら今までのように遊んでくれなくなって、話をすることもできなくなるんじゃないかと、不安で伝えることができず、その後学校に通うことが出来なくなってから疎遠になってしまいました。
中学生時代から男の子とも付き合ってはみたものの、好きという感情が女の子に対して感じる好きの感情とは何か違っていて、好きなんだけれど何かが違う違和感がずっとあり、あまり強い愛情が湧きませんでした。
私は全性愛者なので男性にも女性にも、どんなセクシュアリティの方でも恋愛感情は抱けるのですが、やはり未だに性的な魅力、性欲を強く感じるのは女性です。
中学校に上がってしばらくしてからまたイジメに遭い、今までのストレスや睡眠不足も重なって、精神的にも肉体的にも限界になってしまい、中学校1年生の冬休みが始まる前に学校に行けなくなり、精神科の閉鎖病棟に入院しました。
閉鎖病棟での生活は本当に辛かったです。家族にも会えない。外にも自由に出れない。鍵のついた病棟で常に監視される。
具合が悪くなると薬を沢山飲まされ寝込む。まるで囚人になったような気分でした。
そんな中でも素敵な出会いがあり、今でも仲良くしている友人がいるので、それだけは入院して唯一良かったことだなと思っています。
退院後は学校に行っても具合が悪くなってしまうため通えず、自宅で勉強をしたり、不登校の子供達が通う施設に通ったりする生活をしていました。その施設でも素敵な出会いがあり、今でも仲良くしてくれている友達ができました。
中学校の卒業式には参加せず、卒業アルバムの写真も撮りたくなかったので卒業証書だけ受け取りに行きました。
中学卒業後、クリーニング店のアルバイトに誘っていただいて、それから副業で少しだけセレクトショップのお手伝い等もしつつ、約8年間クリーニング店で働きました。最初は短い時間のアルバイトから始めて、最終的には準社員的にフルタイムで働いていました。本当にお世話になった職場で、この経験がなかったら私はどこにも働きに出ることができなかったと思います。最初は接客も電話応対も怖くてできなかった私が、最終的には接客も電話応対も、お釣りの暗算も、アイロンがけも、ボタンつけも、ズボンの裾直しも…その他諸々目についた事は何でもできるくらいになりました。
そこでの仕事しか経験したことがなかったので、他の仕事もしてみたいなと思い始めた時に転職を考えました。
本当にお世話になった職場だったので、何か形を残してから辞めたいと思い、クリーニング師の国家資格をとることができたらやめようと決意しました。
そう思い立ってから一年ほど、お昼休みは毎日お店番をしながら筆記試験の勉強をして、仕事が終わって帰宅したら必ず実技試験のアイロンがけの練習をするようにしました。
その甲斐もあり、無事に一度目の試験で合格することができました。
働きながら高校卒業程度認定試験の勉強もしており、そちらも無事に合格して高校卒業と同等の資格をとりました。
職場の皆様には本当に感謝してもしきれないくらいお世話になりました。第2の実家のような場所です。
クリーニング店を辞めてからはずっとやってみたかったアパレルショップの店員のアルバイトを1年間ほど続けました。
そこでも今までにはなかった学びがあり、職場の方々も素敵な方ばかりでとても楽しくお仕事をさせていただきました。
毎日大好きな洋服に触れることができ、閉店前に商品整理をしながら「この服買おうかな〜」と、悩んだりする時間がすごく楽しかったです。社割で買えるのもありがたかったです。
アパレルショップのアルバイトに仕事を切り替えてから自由な時間が増えたので、本を読む時間が増えました。
その時にたまたまメンタリストDaiGoさんの「好きをお金に変える心理学」という本を読んで、自分の力でお金を稼いでみたいと思うようになったんです。
私はファッションが好きだった+クリーニング師の資格をとる時にシミ抜きやアイロンがけのことも勉強したので、まず古着屋さんに行ってブランド物の靴や服で安いけれどシミや汚れがある物を買いました。
そして自分の知識を使ってシミ抜きやアイロンがけで靴や服を綺麗にして、買った時よりかなり高い金額をつけてフリマアプリで売りました。最初は売れるかな?と心配だったのですが、とても好評でリピーターの方まで出来るくらい上手く販売することができました。初月は純利益が20万円。一番稼げた時は、純利益が1ヶ月35万円でした。
上手くいっていたのですが、アパレルショップのアルバイトもしながらブランド古着販売もやっていたので、毎日の睡眠時間が2〜3時間の日々が続いた結果鬱状態になってしまい、最終的にアルバイトもブランド古着の販売も辞めて療養に専念することになりました。
療養中も沢山本を読んでいました。その時に「完全一人ビジネスを始める本」という著書に出会い、現在のブログを始めるきっかけにもなりました。そして、その経験が今はホームページ制作やWEB関連のお仕事に役立っています。
20歳の時に当時お付き合いしていた男性と初めて体の関係を持つことになった時、自分がセクシュアルマイノリティなのだと再認識するキッカケになりました。その後、ずっと着てみたかったメンズ服を着るようになりました。
最初は自分は女の子なんだからメンズ服を着るのは変じゃないかと不安もあったのですが、メンズ服を着た時の嬉しさと、自分はこういう服が着たかったんだ!というシックリ感で不安はすぐに消え、楽しい!嬉しい!という感覚の方が強くなりました。それからしばらくはメンズ服しか着たくない!と思って、レディースの服は一切買わない生活を5年間ほど続けました。
その後メンズ服に執拗に拘らなくても、自分が着たいと思った服ならレディース服でも良いや!と考えるようになり、現在のようなジェンダーフリーファッション、ジェンダーレスファッションを楽しむようになりました。
実は私、13歳の頃にファッションモデルになりたいと思って、オーディションに応募しようとしたことがありました。
でも、いざ応募用の写真を母に撮影してもらった時に絶望したんです。
自分が思っているよりも写真に写る自分は不細工なこと。スタイルが悪いこと。
結局こんなみっともない顔と体で応募するのはただの恥晒しだと思い、身の程を知りました。笑
それから10年以上経った今、素敵なご縁と巡り合わせでずっとやりたかったモデルのお仕事もできるようになりました。
中学生の時に夢見たファッションモデルのような大きなお仕事ではないのですが、ある意味その時の夢が今叶っています。
13歳の私のモデルの夢は打ち破れたものの、このままスタイルが悪いままの自分は嫌だと思い、伯母に誘われたヨガのレッスンに通い始めました。伯母と母と私の3人でヨガの個人レッスンを受けた時、一番体が硬いのが私でした。笑
そんな私が毎日ひたすらヨガとストレッチと筋トレを続けて今では開脚も縦開脚も股割りもY字バランスもできるようになり、更にヨガインストラクターの資格もとることができました。
ヨガに通うことがなかったら私の体は硬いままで、今のスタイルにもなれず、ヨガにも出会うこともなかった…伯母には本当に感謝しています。
それだけではなく幼少期からずっと私を娘のように可愛がってくれていた伯母が大好きです。
27歳の頃本気で性転換をしたいと思い自分で調べ物をしたり、病院の先生にも相談しました。
私は生まれつき虚弱体質なためホルモン注射はオススメしないと言われました。
私はとにかく自分の高い声が嫌で嫌で仕方なかったので、体よりも先にまずホルモン注射で声を男性のように低くしたいと思っていました。なのでホルモン注射だけでも打ちたかったのですが、望み通りの声と体になるために体調を崩してしまって人生が楽しめないのは嫌だなと考え、来る日も来る日も悩み続け、最終的に死ぬことを選んでしまいました。
その時に初めて自殺を実行しました。手元に病院から処方され飲まなかった時に余った抗精神薬が1ヶ月分以上あったので、それを一気に飲みました。大量服薬、いわゆるODです。
結局家族に見つかり病院に救急搬送され、死ぬことはできませんでした。
今では本当に馬鹿なことをして迷惑をかけたと反省しています。
死に損ない程無様で恥晒しなことはないので、皆さんは私のように馬鹿な真似は絶対にしないでください。
今はありのままの自分で良いんだと思えるようになり、体と心の性の不一致に悩むことも少なくなりましたが、時折辛くなってしまうこともあります。一番大切なのは健康であることだと、その都度自分に言い聞かせて納得させています。
私の悪いところは負けん気がないところなのですが、唯一自分に負けることは昔から大嫌いだったんです。
誰に負けても自分は出来の良い人間ではないので、悔しいと思わず仕方ないよなと思うのですが、自分に負けていると感じると悔しくてたまらなくて涙が出てくるんです。死にたくもなります。
でも死んだら完全に自分との勝負に負けたことになる。今に辿り着くまで何度も死にたいと思いました。
それを実行に移してしまった時もありました。
同時に死にたいと思っている、自分に負けている自分が悔しかった。
そんな時に思い出すんです。今まで自分が叶えてきたことを一つずつ。
それは本当に些細なこと、小さなことで良いんです。
とにかく自分が昔できなかったけど今できるようになったことを沢山沢山思い出すんです。
そうすると少しだけど足が動いて、ちょっとずつ立ち上がれるんです。
要領の良い人には分からない感覚だと思うのですが、私は要領の良い人間ではないので、そうやって何度も自分に負けそうな自分を奮い立たせるのではなく、引っ張って引っ張ってどうにか起き上がらせてきました。
人生って本当に人それぞれで、周りを見渡すと羨ましくなったり、なんで自分だけがこんな目に遭うんだろう、みんなはすごいのに自分には何にも取り柄がないって思うことばかりで、生きるのが嫌になりますよね。
でも1日が24時間なのは全人類平等なんです。
辛いことは沢山あるけど、それ以外の時間はなるべく楽しいことだけで埋め尽くしたい。
同じ時間なんだから、自分でコントロールできる時間は楽しく過ごせればそれだけでいいと思うんです。
それが他人から見てすごいとかすごくないとか、そんなことは気にしなくてよくて、自分が楽しいと思えればそれで良いんです。
同じ場所にはいないけれど、1日は24時間、同じ時間を過ごしている。
辛くても、楽しくても、1時間は1時間だし、1日は1日。
辛くても、楽しくても、あなたがあなたなのは変わらないし変えられない。
だから、もう少しだけ僕と一緒に生きてみませんか?
辛くても僕は僕で、楽しくても僕は僕。
これが、僕のこと。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
Have a nice day!🌈
______________________________________________________________________________________________________________✏️